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日記

HSPにとっての「自然体で接する」とは?

※以前noteに投稿していた内容を再構成してまとめています

そうするようになった始まりをはっきり覚えているわけではない。
覚えてはいないが、私は仕事中でもプライベートでも、まるでサービス業に従事しているときと同じように人と接する癖がある。

コンビニの店員、タクシーの運転手、駅員、その他ほぼ例外はない。その相手をお客さんとして迎えるように動いたり話したりしている。場合によっては友達、パートナー、親族にもそうだ。
おいしかったお店でホールやキッチンの人々にお礼を言って笑顔を返してもらえたら「よかった」と思うし、事務的に仕事してる人からお世話になったとき、ニコッとしてもらえたら嬉しい。
その人に自分が関わることで、ちょっとでもその時間が華やいでくれたら本望だと思って行動している。
かつて受診していた心療内科の担当医にも、カウンセリングを受けていると「どうしてそんなに辛いのにそんなに笑顔なの?」と問われたことがある。
自分がサービスを受ける側になっても、弱った自分を仕事として受け入れてくれる相手に対しても、ひたすら丁寧に接しようとする自分と生きてきた。

優しさがアイデンティティになることの苦しさについて、話を聞いたことがある。
1.その現象はとても寂しい。弱い人間にとって唯一の支えになりがちだから
2.強くない人間が優しさを継続するのはとても大変。それでも続けていくと「優しいのが取り柄」という状態になる
3.そのうち、他人に優しくすることにがんじがらめになって、世の中との折り合いが付かなくなっていく
4.誰にどれだけ優しくするかどうかの境界線は、成長して世の中を知るごとに分かってくる。しかし優しさがアイデンティティになるとそれができない。世の中のいろんな部分が許せなくて、簡単に絶望するようになってしまう
5.かといって、ズルすると自分の取り柄が失われるから、大きなものを背負っていなくても塞ぎ込んでうつになってしまう。何もする気が起きなくなる
6.結果として、自分の人間性が悪いと思い込んでるからそこを補いたいがために他人に優しくなり、必然に良い人と評価されるようになる。しかし自己評価は極めて低い
自己肯定感が低い理由は周りから見れば改善できそうなものだが、当人には困難だから苦労するし、先述の理由から改善することも難しい
7.これが悪化すると、自分を好きになることは諦めて、あくまで他人に誠実でいようとする。でも自分のことは放置するから身の回りのことは何もしなくなり、結果的にもっとキツくなる

私の場合、まさしくこれだった。
「君は優しい」「いい人だね」と評されたことはとても多い。何度そう言われてきたことだろう。山ほどある。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。
優しい人間だと評価してほしくて、優しくあろうと本心から行動して、それが私の目指す場所と人生観で、周りからもそう言われるようになった。解釈一致の状態だった。
しかし、当の本人(私)は苦しみ続けていた。どこかで胸が締め付けられて仕方がなかった。呼吸ができなかった。
私の心の声に誰か気付いてほしい。助けてほしい。今思い返せば、どこかでそう思いながら優しさを振りまいていたのかもしれない。
勝手なものだが、当時の私にはそうするしかなかったのだと思う。

確かに、私は物事に絶望するまでのハードルが異常に低く、世の中の不条理や自分自身を許せる範囲も狭い。しかも、その範囲は歳を重ねるごとにさらに縮まってきた。
世間に対して不寛容でしかいられない自分が膨れ上がっている。自分にも他人にも折り合いをつけることが絶望的に苦手な自分が、私の隣で常に泣いている。
だって、誰かに優しくするのをやめるなんてできない。ほとんどの人が評価してくれたアイデンティティで、私を形作る輪郭そのものなのだ。簡単に捨てるなんてできなかった。

家族にも親類にも友人にも知人にも「もっともっと甘えてよ」と言われて生きてきたが、そんなこと言われても甘え方が分からない。
誰にも教わらなかったし、これまで生きてきた道のりでは見つけられなかったし、自分で構築することもできなかった。
これまでたくさんの人が教えてくれたのかもしれないが、教わって理解したつもりでいたのかもしれないが、まだ理解には及んでいなかった。
数え切れないほどの人と出会い別れ、人生の時間を共有してきた。そうした中で巡り会った大事な人たちには自分をさらけ出してきたし甘えてきたが、どうやら何かが違うみたい。

自分の気質がHSPだと知ってて、HSPについて調べて考えて、HSPというフィルターを介して自分を見つめ直すことで、これまで書いてきた苦悩からはようやく脱しつつある。
誰とも知らない街中の人が叱られているだけで心にダメージを負うような性質だと、人に甘えるというハードルも必然的に高いのかもしれない。
でも、三十路を前にしてやっと「自然体」という言葉を自分に引き寄せて捉えられるようになってきた。
この3年間、毎日のように話している友人から「りん、昔より卑屈じゃなくなったよ」と言ってもらえたときは嬉しかったし、自分はいい方向に変化しているんだと感じられた。
人に甘えること、自分を(いい意味で)甘やかすこと、必要以上に気を遣わないこと。
それらを上手に回していけるようになることが、これからの人生を歩いていく上で大切になっていくのだろう。

ABOUT ME
りん
20代後半の元宿坊従業員。HSPです。 心身ともにリラックスしながら生きていける道を模索中。 様々なジャンルであなたの助けになる記事を目指していきます。

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