※以前noteに投稿していた内容を再構成してまとめています
春です。新生活です。新しいことを始めるのにうってつけです。
ですが、なかなか手を付けたり始めたりすることは難しいものです。
恐らく、それなりの方が経験しているであろう(であると信じたい)、何かを始めたいのに手が付けられない状態。
この、寝坊した日曜の昼前みたいなモチベーションを脱する道は非常に険しく、何度やろうとしても手に付かず、「やる気あんのか」と自問してももう一人の自分は都合よく知らんぷりする。
その度に歯噛みし地団駄を踏み、歯がゆい自分の怠惰さに悔しくて情けなくなり、そんなことを繰り返してきました。
「怠惰と決めつけてはいけない。物事を手につけないのは怠惰だからじゃない。優先順位が低かっただけ」という言葉をだいぶ前に聞きました。
「お前にはアイロンがけをする時間がある。でもしなかった。それは怠けてたからじゃない。優先しなかったからだ」とも言われました。
自分の好きな動画を観て学びを得たり、好きなインフルエンサーを応援したり、ちょっと凝ったご飯を作ったりすることの方が大切で、アイロンがけはどうでもいいことじゃないけどそれより優先順位が低かったから、私は服のしわを伸ばさなかったのです。
石ころみたいな休日を過ごそうが、輝かしい一日を過ごそうが、お腹は空くし眠くなるしトイレには行きたくなるし、家にこもっていると自分という生き物のしょうもなさに笑えることばかりです。
学生を経て短くも社会人を経て、否が応でも将来を考えざるを得ない年齢になって、身の回りで働いている数え切れないほどの人たちを違う視線で見るようになりました。
自分がこの店で働いているとしたらどんな姿だったろう。何を思って仕事に向き合い、どんな生活を送っていたのだろう?
道を歩くたび、様々な店やサービスを利用するたび、そんなことを考えるようになりました。
大学生だった頃は自分の将来について、頭がいっぱいになりながら日々考えてばかりだったように思います。
──そうだ就活のイベント行かなきゃ。自己分析した方がいいよね。そもそもESって何よ。ああ卒論もあったんじゃないか。
そんなことを頭の片隅に置きながら、すごいスピードで進んでいく時計の針を一日眺めては泣きたくなる、情けない大学生でした。
電車に乗れば運転手がいて、コンビニに行けば陳列する人、薬局ではレジを打つ人、アパートには管理人さん。
いつも食べに行くご飯処で腕を振るうマスター。顔や肩書きを覚えてコーヒーを淹れながら来店を喜んでくれるバリスタ。
私はこの人たちのようにやっていけるだろうか?
まだ社会を知らなかった私はそんなことばかり考えていました。
今のお前はこんなことをしていていいのだろうか?
少しだけ社会を知ってレールを外れた今の私はそんなことばかり考えています。
(ある意味)人に期待してはいけないし、変に自分に期待してもいいことないという真実はだんだん分かってきた。
他人に勝手に期待しては勝手に落胆し、自分の将来に期待してはガッカリすることを何度も繰り返し、ようやくそれを「しょうがない」と思えるようになりました。ほんの少しだけですが。
「しょうがない」とは認めつつも、何とかなる範囲で明日を生きていかなくてはいけない。
それが生きていく毎日のどこかで必要になることを、ここ最近でまた少し、身に寄せた実感として感じられるようになりました。