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日記

恋愛は二人以上としてはいけないのか?

※以前noteに投稿していた内容を再構成してまとめています

異性(じゃなくても)との恋愛関係が行き着く先は、恋人か否かの二者択一しか許されないのだろうか?

愛おしい人にドキドキするのは素敵なことで、それとは別に、同じタイミングで別の人にキュンキュンしてもいいんじゃないだろうか。
唯一の対象を愛するのが「恋愛」なんだろうし、嫉妬はするだろうが、「好き」を目の前にした人間は本当にいい表情でキラキラしてるのに、それを封じ込めるのはもったいないと感じてしまう。
慕っている相手の好きなものだから、たとえ完全に理解はできずとも「こういうのが好きなのか」と思える人間でいたい。
やっぱりそれは恋愛経験が少ない(30年弱の人生でパートナーが2人いた)人間の綺麗事で、若者が描く理想論なんだろうか。

「恋愛ってどういうこと? 付き合うって何だろう?」
世間的にはほぼ完全に定義されているだろう常識を、来る日も来る日も考えていた時期があった。今もたまに考える。
ワイドショー・週刊誌・SNSではやれ不倫だ、やれ浮気だと飽きもせず毎日報道されたり拡散されたりするが、それだけで済まされるほどシンプルじゃないから、恋愛を巡るそうした出来事は起こり続けるのだと思う。
不貞についての善悪は別稿に譲るとして、人間の中にある程度自然な形で存在する感情だから、それらは定期的に話題になるとも思っている。

昔から私の恋愛対象は(いわゆる)女性だが、だからといって「この人は恋愛対象、この人は違う」「今は彼女がいるからそれ以外の人はみんな友達」みたいな分け方ができるかといわれたら、できない。
できるかもしれないが、やはり辛い。人間関係はそんな白か黒の二色で分けられないと思っているからである。
誰しも大切な人はいるはずで、誰かを想うにあたっては性別・年齢・国籍・出自は不問のはずで、そのくくりの中で「特にその気持ちが(お互いに)強い相手」が、いわば恋愛の相手なんだろう。
「パートナーがいて、それは今の自分の世界にいる人々の中で一番好きな人だ」という定義も間違いではないと思う。というかそれが世間の普通なのだ。
ただ、私は「自分が知っている人の中でこの人もステキだし、この人も愛おしく思っている」、いわば絶対評価で一人ひとりに向き合えたらと願う。

この考え方は大学に通っていた頃に固まってから今まで変わらないが、残念ながら間違っていると思われる。
最後にパートナーがいた時期からおよそ5年近く、その間誰とも恋愛関係に至っていないのだから、説得力はほとんどない。皆無である。
現代の日本社会では、オンリーワンでナンバーワンな相手でないと恋愛対象として成立しないのだろうから。

でも、やっぱり私にはその価値基準が苦しい。
自分にパートナーがいたとしても、それ以外の人にときめきやドキドキを感じても抑圧せねばならないのは胸が締め付けられる。
縁あってその時のパートナーといい関係を築いていても、世の中にたくさんいる人たちと出会う度に「この人ステキだな」と感じることは何度もある。もっと親しくなりたいとも思う。
あるいは以前から知っている人が、何かのきっかけで輝いて見え始めることもある。
それは少なくとも私には何度も訪れた出来事だし、これを読んでくれているあなたにもそういう経験はあったのではないだおるか。
そこへ「彼氏がいるから」「彼女に悪いから」という縛りが介入して、そういう人との関係が作れないのは、交友関係が狭まってしまうように感じる。

嬉しいときや悲しいときに会ってハグしたり、二人で外出して食事やお茶で色んな話をしたり、そうやって自分を知ってもらえて、より相手を知っていける道を、パートナーがいるという理由だけでどうして閉ざさないといけないんだろうか?
「恋人がいるのに別の異性と二人で出かけるのはダメでしょ。何言ってるの?」という意見はよく聞く。
その通りである。恋人になるに際し、「そういうことはお互いにしない」と契約しているようなものなんだろう。
「そんなに特定の異性と食事や外出がしたいなら、複数人で出かければいい」という話もよく耳にする。実際、友人にも言われた。
これもその通りである。3人や4人以上でしか得られない時間や経験も確かに存在するし、それもかけがえのないものだ。

それでも私は叫びたい。声を大にとは言わずとも、中くらいにして言いたい。
「人間、二人でしか話せないことがある。そこに異性も同性も関係ない。
二人だからこそ話せる内容や行ける場所もあって、それはお互いの人生を確実に豊かにしてくれる。
そうして本人の気持ちが豊かになれば、それは彼氏や彼女といった各々のパートナーにもいい影響を与えて、
それがお互いに響き合えば、結果として関わった人全員にいい循環が生まれるのではないか?」と。
何が線を引いているのだろう。
人間は他人とつながることで生きていく社会的な動物なのに、たくさんの他人と深い信頼関係を築ける動物なのに、恋愛は唯一が普通なのだ。
それはそういうものだから、と言われたら口を閉ざすしかないが、そこで終わりにしたくないのだ。

……と、いう話をすると大概反論されるので、感覚が世論と一致しないことは承知している。
特定の期間、あるいは生涯唯一の人を慕い続ける・愛し続けることは素晴らしいことだし、私も「そうするべき」という感情自体は持っている。
ただ、「恋愛」という二文字が出てきた途端に相手との関係を作るのが難しくなることに、疑問と苦しさが募るのである。
こんなことばかり考えているから恋愛から遠ざかって遠ざかって、気が付けば三十路は目の前に来た。
周囲からの「焦らなくていい」「そのままのあなたでいい」という言葉はある意味で正しく、ある意味で心を抉り続ける刃でもある。

いろんな人と、この話をしてみたい。

ここまで読んだくださった方、いらっしゃいましたら、感じたことをコメントに残していただけたらとても嬉しく存じます。

ABOUT ME
りん
20代後半の元宿坊従業員。HSPです。 心身ともにリラックスしながら生きていける道を模索中。 様々なジャンルであなたの助けになる記事を目指していきます。

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