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日記

人が好きだから、接客が向いてるとは限らない

こんにちは。りんです。

かつての私は人が好き(人間という大きな括りでは好きじゃないのですが)ということもあり、接客という仕事を選びました。
人が好きだし、困っている人がいたら役に立ちたいとも思います。

ただ、接客業との相性が致命的に悪い性質を複数抱えているため、いざやってみると非常にしんどいことが続きました。
(ブログ記事にまとめたことがあるので、よろしければご覧ください)

「視野が狭い」自分との付き合い方皆さんは「自分の視野が狭い」と感じたことはありますか? 私はこれまでの人生で何度もその気質にぶち当たっては、自分の視野の狭さや理解...

「人が好きでも、イコール接客に向いてるわけじゃないんだ」

という思いを強め、今はこうして文章を書くことで生きる道を見出そうとしています。

いちHSPの体験談や考えではありますが、どうぞご覧になっていってください。

この記事を読んで分かること

・人が好き≠接客・サービス業に向いている、という個人的到達点
・人の役に立ちたい気持ちを、必ずしも仕事で満たす必要はないんだという気づき

仕事以外でも、誰かの役には立てる?

先日、大学時代の同期と数年ぶりに会ったときのこと。
私が「接客業にリトライしたけど、やっぱりしんどい」という話をしたら、彼女はこんな話をしてくれました。

「辛かったら、『人が好き』とか『役に立ちたい』っていう気持ちを、仕事で満たそうとしなくていいんじゃない?

仕事で誰かのためになろうとしてしんどくて、献血でそれを満たしてる女友達もいるよ。

だから、それを無理に仕事にしないで、プライベートでも人の役に立てる機会を探してみたらいいんだよ」

これには、思わずその場でメモさせてもらったぐらい深く納得しました。

もちろん、接客業をしていてよかったと思う瞬間はたくさんあります。
感謝されたら嬉しいし、役に立てたら自分も満たされるし、それによってまた仕事を頑張れるから所属先にも貢献できる。三方よしでした。
接客するにあたって「してあげる」という気持ちが強かった私に、「させていただく」という姿勢を教えてくれたのも接客業で出会った人たちです。

ただ、「仕事として」その気持ちに向き合うのか? という答えは、(私の場合は)NOでした。
接客で得られるやりがいや喜びと引き換えに、自分の視野の狭さや覚えの悪さが本当に足を引っ張って辛かったこと。
自分のパフォーマンスを保てないことで、周囲にも迷惑をかけてしまうケースがどんな場面でも続いたこと。
さっき三方よしと表現はしましたが、これでは三方悪しになってしまう。

そう悩みながら試行錯誤していたところに彼女がそう言ってくれたので、「そう言われればそうだ」と腑に落ちたのでしょう。
兼ねてから言われていることだとは思いますが、私の場合は誰かに言ってもらうことで気づくことができました。
数年ぶりに会う、最近の私をあまり知らない人の目から自分を見てもらえたからこそ、普段言われない指摘をもらえたんだと思います。

献血と自己肯定感

ハートの画像

彼女の話に納得したもう一つの理由として、彼女が例に挙げてくれた友達が「献血に行ってそれ(人の役に立っているという気持ち)を満たしている」という例え話が自分に近しいものだった、というのが大きいです。

少し脱線しますが、私も献血は昔からよく行っていて、特に父の意識が高いものでした。
母は持病の影響で若い頃から献血ができず、その父も病気でできなくなったため、家族の中で今でも続けられるのは私だけになっています。

「会社勤めをしていた頃、オフィスによく献血バスが来て通ってた。でも、偉い人ほど知らんぷりをして参加しなかったんだ。
俺はそうなりたくなかったし、お前にもそうなってほしくない」
「献血は健康な人間なら誰にでもできる社会貢献だから、お前ができる身体である限り、続けてほしい」

父には小さい頃からそう言われて育ち、私も概ねその考えに賛同していました。

大きな転換点となったのは、やはり新卒で身体を壊したとき。
健康なときでも献血後は身体に多少負担がかかっていたのですが、身体を壊してからはこの負担が強くなってしんどくなり、行ける頻度が減っていました。

しかし、何の仕事もできず収入も得られず、ただ生かしてもらっているだけの状況だった毎日で、「自分は社会の役に立てている」という実感を強く持たせてくれた数少ない要素もまた、献血という行為。
今振り返っても、「こんな身体で働けなくても誰かの役に立つことはできている」という支えになっていました。

身勝手な動機かもしれません。自己満足と言われればそれまでです。
ですが、献血が目的ではなく手段になっているとしても、その行為が誰かの助けになり、他者に貢献している感覚を生み出してくれているとしたら。
自己満足でしていることが誰かの迷惑になっていない(しかも人の役に立っている)なら、私はそれもいいと思っています。

事実、話に挙がった彼女の友人はそれで救われているわけですし、私もまた「自分以外にもそういう人がいたんだ」という共感を覚えることができました。
もしかしたら献血(あるいはボランティア全般)は、そういった気持ちを受け止めてくれる場所としても機能しているのかもしれません。

まとめ

私にはハードルが高かったのでネガティブな話になりましたが、もちろん接客業は素晴らしいお仕事です。
素敵な接客をしてくれる方に出会うと、その日は明るい気持ちでいっぱいになります(HSPならではかもしれませんね)。
そういったときに受け取ったポジティブな気持ちをエネルギーにして、仕事で直接的に誰かの役に立つことは難しくても、できる形でそのエネルギーを循環させていけたらなと思っています。

ABOUT ME
りん
20代後半の元宿坊従業員。HSPです。 心身ともにリラックスしながら生きていける道を模索中。 様々なジャンルであなたの助けになる記事を目指していきます。

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