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日記

演劇は自分と向き合う方法で、辛いけど楽しい

※以前noteに投稿していた内容を再構成してまとめています

最近はすっかりご無沙汰だが、不登校で自宅に引きこもっていた学生時代に私は演劇と出合い、それ以来お芝居というものと付き合い続けてきた。

ことの始まりは中学生時代に遡る。
親の仕事の都合で海外の日本人学校にいた私だが、引っ越しが決まったときは泣いて悲しみ、日本との別れを惜しんだものだ。
それでも、引っ越しから2年を経て異国の地にも少しずつ馴染んで、学校生活や日常に楽しみを見出せるようになっていた。

しかし、期待と不安を胸に新しく編成されたクラスの一部生徒は、新任の担任教師に苛烈な言葉を投げつけることを楽しんでいたようだった。
当の彼らが何を思っていたのか、今となっては確かめる術もない。だが、教師という職に今も昔も敬意を持っていた私に、その言葉の刃はとても聞き流せるものではなかった。
1学期が明けた登校日の朝、スクールバスの集合場所で旧友に挨拶した私の中で何かが切れたのをよく、とてもよく覚えている。
「美術の教科書忘れちゃったから取りに戻るよ」と口実を作り、自宅へ駆け戻るや否や泣きながら親に直訴し、その日から学校を休み始めた記憶は今も消えていない。
もう当時のことは自分の中で整理がついているつもりだが、今でも脈絡なく脳裏に当時の苦しみが蘇ることがある。
私がHSPたる所以かもしれない。

そうして引きこもっていた私の元へやってきたのが、「演じる」という発想だったのだ。
この頃はドラマやアニメを貪るように観続けていて、学校生活で得られない何かを埋め合わせるように没頭していた。俳優・声優といった存在を改めて強く認識し、知らず知らずのうちに、役を演じる人々への憧れや関心が積もっていったのだろう。
「高校に進んだら、演劇部に入ってみたい」
通っていた中学校に演劇部がなかったこともあり、そう考えるようになったのは自然なことだったんだと思う。気がつけば高校、大学、社会人を通して演劇の部活や研究会、市民劇団に携わっている自分がいる。
主体的に関わる頻度が減った今でも、演劇を通じて繋がった人たちの成果発表は観に行くし、お芝居そのものへの関心は人生の中から失せていない。

この演劇というものが本当に不思議なやつで、演じるのも書くのも手伝うのも観るのも素晴らしいものである一方、「もう二度と演劇なんかしない」と思わせてくる。
お芝居というのは、向き合うたびに素の自分を眼前に突き付けてくるもので、演劇に向き合っている時間は、自分が自分に相対して刃を向けているような感覚でもあった。
普段取り繕っているものが舞台に上がると全部剥がれ落ちて、身一つで勝負しなければならない。
日常で自分の素がほとんど出せない私は演劇に関わるとき、いつもこの切っ先にまっすぐ対峙するところから始まっていた。
ある意味では普段から周りに対して「お芝居」しているのに、演劇としてやろうとすると一苦労なのは、ずいぶん面妖なものだ。

でも、自分の刀は鍛錬していないとあっという間に錆び付いて刃こぼれだらけになる。
素の自分を自分自身に突き付けたとき、構えている刃がなまくらだったら、元から自分が嫌いな私はさらに自分を嫌いになっていただろう。
だから「演劇なんて辞めてやる」と何度思っても続けてきたんだと思う。思うようにいかない自分でも、心のどこかでは嫌いになりたくなかったからだ。
大学に入ったときから「学内の制度で国内の提携大学へ留学しよう」と心に決めていたのだが、飛び込んだ札幌生活で初めて出合った役が、現地で初めて会う人たちとの間を幾度も埋めてくれた。今でも大切な役として心の中に留めている。

同時にたくさんの人に迷惑をかけ、泣かせてしまう経験もした。この経験もまた、心の中に今も残っている。
それでも彼らは最後まで私と共に走ってくれた。私の演劇に対する価値観が根底から変わったきっかけでもある。
あのときあの場所で私に関わってくれた全ての人へ。
本当にありがとう。
みんなにどう感謝すればいいのか、私にはこの気持ちを表せる言葉がない。
当時の経験を忘れないようにしながら自分の道を進んでいくことで、少しでも返していきたいと願う。

ABOUT ME
りん
20代後半の元宿坊従業員。HSPです。 心身ともにリラックスしながら生きていける道を模索中。 様々なジャンルであなたの助けになる記事を目指していきます。

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