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日記

大切な友達の世界にいることは難しい

※以前noteに投稿していた内容を再構成してまとめています

会いたい人はたくさんいるけど、向こうが自分に会いたいと思ってくれてるかは分からない。多分半々くらいの確率でこちらからの片思いだ。
その人たちの苦しいことは聞かせてほしいし、力になりたい。楽しいことを共有して笑いたいし、おいしいご飯を一緒に食べたいし、晩酌もお茶もしたい。
それだけが人付き合いじゃないのは分かってるけど、そうできる相手とはそうしたい。その一つひとつが日常のようでちょっと特別な時間になるから嬉しくなる。そんなにおかしい感情ではないはずだ。
だから、「また会おう」「いつか会おう」と言われたら(言ったら)絶対社交辞令にしたくない。なるべく自分から連絡する。
だって、自分から動かなければその約束が叶うことはまあない。29年も生きればそれは嫌でも分かるようになってしまった。心当たりがある人も多いはず。

もちろん、その社交辞令が叶わないこともたくさんあったし、今も多々ある。
彼らは彼らの世界を生きていて、人間は自分のことで基本的に精一杯で、恋人でも家族でもない特定の個人を心の片隅に置き続けることは、どんどん難しくなっていくんだろう。
年齢を重ねるにつれ、それは少しずつ実感できるようになってきたけど、恋人もいなければ家族とも住んでいない身には正直実感が薄いし、叶わないごとにダメージも負う。
親しくしていた旧友や同世代の親類もそうして人生のステージを進んでいって、あまり連絡を取らなくなったり疎遠になったりしてきた。
交際や結婚は喜ばしいことだし、ライフイベントを機に人間関係が大きく変わるなんて私を含め誰しも経験することだ。頭では分かっている。人生を歩いていくにつれ、交友関係なんてどんどん変わっていくものだ。
変わらない友情だけが美しいわけじゃないし、一期一会は人生の醍醐味だし、ちょっとした出会いが大きなものになったこともある。それも何度も経験した、大切な学びだ。

でも、どうしても寂しくなる。
自分が大事に思っている人、定期的に会いたいと思っている人、気にかけている人、お世話になっている人。彼らの世界の片隅に私はいるのだろうか?
各々の目まぐるしく流れていく日常で、私はそのまま流れていくようなちっぽけな存在なんだと思う。あるいはもう、とっくに流されていなくなってるのかもしれない。
流れていくこと自体は当然のことで、同じところに留まってたら人は生きていけない。水と同じで流れが止まっていては濁ってしまう。
自分では相手のことを想っているつもりでも、相手にとっては迷惑だったり優先順位が低かったりする。それぐらい当たり前のことで、全部気にしてたら身が持たない。
それはもちろん分かっている。
私のことを大事にしてくれる人、定期的に会ってくれる人、気にかけてくれる人、お世話になっている人……今も昔もたくさん思い浮かぶし、本当に心からありがとうを伝えたい。
昔の私は「私なんて誰の世界にも存在しない」と叫んでいたが、今は「そんなことない」とハッキリ言える。そう断言できるようになった自分がいる。

心の中の7割では分かっていて、2割も頭で理解しようと努力してて、それでも残りの1割が「分かんないよ」「イヤだよ」「寂しいよ」と叫んでいる。
この文章を連ねているのはその1割の私だ。9割の私はただじっと座って、1割の私があがいているのを見守っている。大人になりきれない1割の私を感じながらこうやって文章にして、何とか向き合おうとしている。
「この人との付き合いを大事にしたい」と思う人を傷つけたり、あるいは急につながりを絶たれたりしたことで消えていった関係が胸をズキズキ突いてくるのだ。
その時々の私が選んだ、「色々考えたけどこれが一番いい選択だ」って取った道が、結果的に(私にとっては)最悪の未来につながっていた……という経験は数えきれない。
HSPであるがゆえか、時も場合も選ばずにそうした過去の傷が突然脳内を占めて私のことを刺してくるのだ。

「会いたい人に会えない、だから苦しい」
「あの人と同じ時間を過ごしたいのに叶わない、だからしんどい」
「力になりたい人がいるけどなれない、自分のことのように心が痛い」
「自分にとって大事な彼の、彼女の世界に私がいないことが辛い」

こうやって文章に起こしてみたら、大変な独りよがりだと思う。私にとっては切実な願いでも、そこに相手の都合は入っていないから。
相手からすれば「そんなの知ったこっちゃない」わけで、わざわざそれを伝えてくれる人なんて少ない。だから黙って関係を終えたり、去っていったりするのだろう。
これだけ人生を過ごして物事を考えて、たくさんの経験をしてきても、その感情や傷だけはなかなかすぐには受け入れられずにいる。
本当は満たされているはずなのに、愛情や友情といった見えないものに飢えていると感じるから、こんな葛藤の中でぐるぐるしているのかもしれない。
きっと私は構ってほしいのだ。たくさんの人と両思いでありたいと欲張ってしまうから、そう感じるのだ。
でも人間関係はそんな単純なものではない。だから傷つくし、傷つけられるし、こうやって文章に起こして整理しようとするのだ。
これまでの人生、納得できずにいることもたくさんあるけど、それでも私を愛して応援してくれる人は大勢いた。自分の進んできた道が致命的に間違っていなかったことは、それが確かに証明してくれている。
だったらやっぱり進んでみるしかない。

「やってみたい」「続けてみたい」。そう感じることが今はたくさんある。
自律神経失調症や抑うつ、それらと向き合いだいぶ穏やかになってきたことで、自分の意思で取り組みたい物事はだいぶ増えてきた。
体調や怠惰を理由に後回しにしてきたことたちが「今だ」「機を逃すな」と私の周りで声を上げている。
自分の力だけでどうにもならないことに悩んで時間を使うくらいなら、自分が望む自分の進みたい道を歩いていくことの方がいいに決まっている。

今この瞬間とこれまでの自分のために筆を執り、この瞬間から未来の私のために、この文章を結ぶ。

ABOUT ME
りん
20代後半の元宿坊従業員。HSPです。 心身ともにリラックスしながら生きていける道を模索中。 様々なジャンルであなたの助けになる記事を目指していきます。

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