※以前noteに投稿していた内容を再構成してまとめています
「体調がよくないときに大事なことを決めない方がいいっていうのは少し違う」
「大事な決断をするから、体調がよくなっていくんだ」
演劇を志して奔走している知人が以前、芝居で発した言葉が身に染みていた。
およそ4年ぶりに関東へ帰ることを決め、関東に戻ることが決まったのがおよそ1年半前。
年が明け、さらにもう1年が経過し、再び住み慣れた地で筆を執っている。
始まりは27回目の誕生日を迎えた頃。不意に、本当に突然心のどこかで自分の声が聞こえた。
「今、たった今を逃したらお前は一生ここから起き上がれなくなる。動け。立ち上がれ。頼むから動いてくれ」。
体調を崩して日常生活もままならず、仕事ができなくなり、毎日を泥のように過ごしていた私の奥底から聞こえてきた叫び。
同時に、今この内なる声を聴き流せば、もう二度と間違いなくどこにも行けなくなるだろうという予感がピリピリと伝わってきた。
これまでも、膝を抱えて閉じこもる私の傍らで”次のステップに進まなきゃいけないんだ”と肩を揺すり続ける私はいた。
心を許せる知り合いが近くにいないから、遠くて遊びに来てもらえないから様々な人を尋ねては、「動き出さなくちゃ」という気持ちを思い出させてもらってきた。
でも、私はその機会やチャンスを掴めずにいた。正しくは、掴まずにいた。
━━私は不幸だ。辛かった。今も苦しい。
━━何をやっても治らなかったし、変わらなかった。これから先も変わることはないし、治ることもないだろう。
━━自分を信じる意味なんてないし、自分を縛り上げて制限してしまえ。もうどこにも行くな。ここから動くな。
そんな声が頭をぐるぐる回るようになったのは、病気との向き合い方が訳分からなくなってきた時期だ。
溺れる者は藁をも摑むというが、当時の私は藁を掴むことさえやめた。一線を越えて踏み出すことをやめた。それ以来、「動くのは今なのかもしれない」と心のどこかで痛みを感じても黙殺してきた。その方が楽だったのだ。
いつしか、”どこにも進まないの?”と問う私はいなくなった。
平穏なようで何の声も聞こえない(ふりをする)時間は静かに、そして着実に過ぎていった。
でも、この痛みをやり過ごすことを、私の中の何かが許さなかったのだ。
突っ伏してうずくまっていた自分の背中を思い切り引っ叩き、「いやだ、動きたくない」と泣く私の肩を掴んで「それは私も一緒。でも動きたいと思った別の私が助けを求めてる。現状維持したい私も本物だけど、心の叫びを上げた私も本物の私だ」と訴えかけた。
そして、「お前にもさっきの声は届いただろう」と手を差し伸べたら、目の前の私がゆっくりとこちらを向いた。
内なる自分と目が合ったのはいつ以来だっただろう?
私が「やりたいこと、やってみたいこと、やるべきだと思ってること、全部あるんでしょ」と尋ねたら、私は目を逸らしたままだったが黙って頷いた。
「どうしたい?」と根気強く訊いていたら「もう一度関東へ戻ってみたい」と絞り出したので、「奇遇やな。私もおんなじこと思っとったわ」と笑った。多分、彼も笑っていた。
適応障害や自律神経失調症に押しつぶされそうになって3年が経とうとしていたし、主体的に生きることを放棄しかけていた私。
これまで何をどうやっても立ち上がれなかったのに、なぜ今回踏ん張れたのかは今でも分からない。
たくさんの方が手を差し伸べてくれたことや内なる声の訴えをやっと感じられたのがこの瞬間だったのかもしれない。
それからはとんとん拍子で、物件を探して荷物をまとめて引っ越しを敢行し、住み慣れた地がまた自分の都になってからそろそろ1年半。
私にできることや得意なことは多くないし、少ない。
でも、文章を書くことは好き。そしてそれを褒めてくださる方が幸運にもいらっしゃることが、とても大きな支えであり続けている。
その支えを自分から手放すことをしないよう、書き続けていけたらと思う。
数は少なくてもいいから、自分の文章がポジティブな形で人の手に届くことを目指して、筆を執り続けようと思う。