私(りん)のプロフィール

ありがとうございます。「りん」と申します。
90年代生まれのHSS型HSPです。

地元や近隣を散策したり、一人旅に出たり、映画やお芝居を見に行ったりするのが好きで、いろんなことに興味を持って学びや経験を深めたい性格です。
カフェ巡りや食べ歩きも好きで、素敵な個人経営のお店を探すこともあれば、チェーンのファストフードやコンビニのカフェラテもお気に入りです。
「同じ体験を様々な環境でしてみたい!」という性質がよく出てるなと思います。

また、素敵なプロフィール画像はオキテ(Okite)さんに描いていただきました!
ココナラで活動されているので、イラストレーターさんをお探しの方はご覧になってみてください。

オキテ(Okite)さんのプロフィールはこちらから

こんな人です(主な経験・資格など)

●朝日小学生新聞のレポーター
後述の海外在住時に1年間活動。
海外ならではの現地での経験を記事にまとめたり、数学者・大道芸人であるピーター・フランクルさんにインタビューさせていただいたりと、様々な経験をさせていただきました。
子ども向けとはいえ世代を問わず読まれる新聞というメディアで継続的に、多くの人の目に触れる文章を書いた初めての大きな経験だったと思います。

●日本商工会議所珠算能力検定 2級
●さいたま珠算連盟暗算能力検定 準3段
小学生だった頃に、習い事としてそろばんをさせてもらいました。
珠算は段位取得が間に合わないまま海外へ引っ越してしまったのが心残りでしたが、暗算を鍛えたことで日々の計算はかなり早くなり、十数年経過した今でも生活の端々で助けてもらっています。
人生において、履歴書に書けるような強い資格や専門的な勉強はしてこなかった私ですが、そろばんに関しては胸を張れる経験で、学ばせてくれた両親に感謝しています。

ブログ設立までの生い立ち

埼玉で生まれ育ち、小学校5年生のとき、家族の仕事の都合で東南アジアへ引っ越しました。
馴染みの土地を離れる事実を受け入れられず、家族に向かって「嫌だ」と泣き叫んだことは今でも覚えています。
皆に送り出してもらって始まった海外暮らしは小学校高学年から中学校卒業までに及び、異文化に驚かされる毎日でした。
その国の良さや日本の良さを改めて感じたり、拙くとも英語でコミュニケーションを取る練習になったり、たくさんの経験をさせてもらいました。

中学校時代の不登校と復帰

一方で、中学校では新しいクラスの雰囲気に全く馴染めませんでした。
「生徒から突っぱねられ、からかわれ続けて苦しむ教師の姿」が辛くてたまらず、見ていられなかったこと。
学級崩壊していた中で、クラスメイトから溢れ出る暗い雰囲気が苦しかったこと。
そうしたネガティブな感情が自分のことのように絶えず流れ込んできて、当時の私にはそれらを受け流したり、耐えたりすることができませんでした。
思えば、この頃からHSPの気質があったのだと思います。

命を投げ出すことまで考えた私は1学期の終わりにそのクラスから逃げ、卒業までのほとんどの時間を教室の外で過ごすことに。
最初は学校に行くだけで足がすくみ、クラスメイトと絶対に顔を合わせたくない気持ちで、人から逃げるように過ごしていました。
そんな中、授業のない先生が合間を縫って、パソコン室や図書室・保健室といった生徒のいない空間で一緒に過ごしてくれたことが、今振り返っても大きな救いになっていたと思います。

また、2年生になったタイミングで専任のカウンセラーが来校し、私はその先生とほぼ毎日をずっと過ごさせてもらいました。
私はもちろん、不登校に責任を感じさせ苦しませてしまった母もその先生には本当に助けてもらいました。大げさでも何でもなく、命の恩人です。

その後、3年生になり新しくなったクラスと先生が、長らく教室から離れていた私を暖かく引き入れてくれました。
家庭科室で先生と作ったドーナツを顔を合わせないままクラスメイトに差し入れたり、こっそり見に行った授業の成果発表の後、皆が私の手を引いてクラスの教室に連れて行ってくれたり。
そうした優しい気持ちに触れ、最後は皆と校外学習へ出かけたり、内容が分からないながらも一緒に授業を聴いたり、卒業式も共に出席することができるまでになりました。
辛いことも多い時間でしたが、当時の先生やクラスメイト、学校には心から感謝しています。

卒業に合わせて帰国した後は、関東の高校へ入学。
不登校だった経験のある生徒が多い高校で、ゆっくりと学校生活のリハビリをしました。

その後、自由な学びをモットーとする大学を受験し、心理学・国内外の文化・ジェンダーを中心に学びました。
大学時代は北海道にも国内留学したことがあり、滞在は1年間だけでしたが、以来北海道はとても大切な心の故郷になっています。
北海道での生活に大きな影響を受けたことで、卒論の題材にはアイヌ文化を選び、当時流行していた『ゴールデンカムイ』を題材にまとめることにしました。
執筆は難航しましたが、協力してもらったアイヌの方や留学先の教授にも評価いただいて、私の人生においてもとても大切な論文になりました。

また、両大学では演劇サークルに所属しながら、市民劇団に在籍したこともあります。
大学サークルの一員としては、近隣の大学と芝居を作って競い合ったり、共に一つのお芝居を作る経験をしたり。
市民劇団ではプロのスタッフさんたちと一緒に活動させていただき、公演への出演をはじめ裏方作業やお知らせのチラシ配りをしていました。

現在は、後述する体調面の問題から演劇の作り手からは離れてしまいましたが、お芝居に携わっていたこの期間が、酸い甘い両方の人生経験や私という枠組みを豊かにしてくれたことは間違いありません。

寺院への就職と大きな挫折

就職活動では新卒で宿坊従業員というかなり変わった道を選び、慣れ親しんだ関東を再び離れ、山奥で参拝・宿泊にいらした方をおもてなしする仕事に進みました。
このお寺では事前にインターンシップをさせてもらったのですが、そのときの滞在で「尊敬する人たちと、素敵な環境でお客さまをおもてなしさせていただきたい」という気持ちを強く持ったことがきっかけです。

しかし、未熟さを痛感しながらもやりがいや先輩方に恵まれ、何とか「この環境でやっていけそうだ」と感じた入寺1年目の冬、自律神経失調症と抑うつを発症します。
夜は一睡もできず、着替えなどの日常生活もまともにできない状態に陥り、そのまま退職。
世間ではちょうどコロナの流行が始まり、自身の療養も重なったことから、仕事はもちろん外出も人とのコミュニケーションもままならない時間が続きました。

環境的にも身体的・精神的にも、この時期は人生で一番辛い時間でした。
「人は簡単に孤独になる」
「健康でなければ生きていても苦しい」
重くのしかかるその事実に沈みながら、終わりのない療養生活を送っていました。

「ブログを始めよう」と思った理由

子どもの頃から周囲の変化や音に敏感で、大学生ぐらいのときに「HSP」という言葉を知りました。
その後はあまり意識していませんでしたが、心身を壊して何もできなくなって以来、

「働くことは難しくても、何らかの形で社会と繋がりたい」
「これまでの経験や、自分の目を通して感じたことを発信することで、誰かの役に立てたら嬉しい」

という思いが日に日に強くなってきました。

また、昔から書くことが大好きで、学校や大学で読書感想文やレポートをまとめることも苦にならず、小学校でも自作の小説を書いて読んでもらっていたような子どもでした。

家でじっとしている時間を、誰かのために使いたい。
それが自分を作ることにもつながるなら、もっと嬉しい。

書くことが得意だから、文章を通して何かしたい。

そんな思いで、「HSP」という視座と「書く」という切り口で始めたのがこのブログです。

おわりに

私はポジティブ・ネガティブを問わず周りの感情や変化に影響を受けやすく、人に迷惑をかけたり辛い思いもたくさんしたりしてきました。

ですがその分、

「誰かの幸せを自分の幸せとして感じられる」
「小さな幸せを大きな幸せとして噛みしめられる」

といった、HSPでよかったなと思える経験も同じくらいさせてもらいました。

そういった人間の感情の機微や、素敵だなと思った物事を綴るブログにするつもりです。
何よりも読んでくれたあなたにポジティブな何かを届けられる、読んでよかったと思ってもらえる文章を目標に、執筆を続けています。

何か一つでも、あなたの人生の助けになりますように。
そんな記事を少しでもたくさん書いていけるように。
ブログという場で精進していきます。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

 

★2025.02.06 大幅に加筆修正しました。